僕を含めて吹奏楽やクラシックを経験してきた人が教わり、身に着けることに「合わせる」ということがあります。
出だしのタイミングを合わせる、呼吸を合わせる、音程を合わせるなどなど様々な「合わせる」ことのために耳を使い、体を使って演奏する、いつしかそれが当たり前になっていきます。
クラシック以外のジャンルを演奏するようになってから気が付いたことですが、クラシック以外の音楽では必ずしもクラシックほど合わせることが正解でないことがあります。
昔、レコーディングの時に言われた言葉「音程がすこしずれても荒々しいエネルギーがほしいんです」
その後いろんな人と演奏して、いろんな人の演奏を聴いていくうちに「完全に合わせることを目指す」ということは選択肢のひとつで、それがベストでないことがあるんだなと考えるようになりました。
ただし、そうは言っても「合わせる」ことが正解の場面にいることが多いので、普段は耳の使い方も「合わせる」ことに寄せて使っています。
今月久しぶりに「この曲は個々のもつ音楽がぶつかって生まれる荒削りなパワーがほしいのであまり合わせようとしないでください」という言葉を聴いて、「合わせ方」について考える機会があり、今日はそんなお話を書いてみました。
クラシックや吹奏楽の大人数ではあまり必要になることではないのですが、そういった場面もあるのよねというお話でした。